1.チェチェンについて
チェチェン共和国はモスクワの南、カスピ海と黒海の間につらなるカフカス山脈の中央北部に位置し,南をグルジア,東をダゲスタン,西をイングーシと接している。面積は 1万7300平方キロメートル、岩手県ぐらいの面積がある。
印欧語に属するカフカス諸語のチェチェン語を話す。1991年以前に教育を受けた人はロシア語も話せる。
人口は約百万人(ただし 2度の戦争で正確な数字は不明)で,
大多数はスンニ派イスラム教徒である。首都はグロズヌイ。
石油、ガス産業が発達し,バクー油田からのパイプラインが通る。中東,カスピ海,黒海,中央アジア,ロシアを結ぶ交通の要衝である。
温暖な気候のため農業が盛んで、ぶどう酒醸造と果実缶詰の加工業も重要な産業である。
牧畜も盛んで、チェチェン人の男性の正装は、羊毛で作ったパパフと呼ばれる円筒型の帽子を被る。羊と狼はチェチェン人のシンボルになっている。
チェチェン人は古くから北カフカスに居住していた。 16世紀からイスラムが流入,18世紀後半ロシアの侵攻を受け,激しく抵抗するが,1859年にロシアに併合された。この時多くの難民が近隣諸国や中近東に散らばり,現在ヨルダンやトルコ等にもチェチェン人が居住している。
20 世紀に入り,帝政ロシアが倒れてソビエト政権が樹立されると,チェチェン自治州となり, 1936 年ロシア連邦共和国を構成するチェチェン・イングーシ自治共和国が成立した。
3.チェチェン紛争 90年代に入ってソ連が解体し,多くの共和国が主権を確立する中で,1991年11月、チェチェン出身のジョハル・ドゥダーエフ空軍少将を中心とするチェチェン民族会議が、独立を宣言した。ロシア連邦からの離脱をエリツィン大統領は認めず,武力介入しようとしたが,議会の反対によって失敗した。
92年,チェチェンはロシア連邦条約の調印を拒否し,自決権にも
とづく憲法を採択,同年6月エリツィン大統領はイングーシ共和
国をチェチェンから分離独立させた。
翌93年になると,チェチェン共和国内部でドゥダーエフ派と反対派が対立,反対派を支援したロシアは94年暮れに軍を投入して内戦に介入し、第一次チェチェン戦争となった。
この戦争で、およそ100万人のチェチェンの人口のうち、8万人から10万人が死亡したと言われている。
また96年―99年の間に、チェチェンでは誘拐事件が相次いだ。ロシア軍の侵攻を跳ね返したものの、チェチェンの物理的・経済的インフラが破壊された状態のままで、失業が蔓延していたためである。多くのチェチェン人、ロシア人、少数ながら外国人が誘拐されて身代金を要求された。
96年にいったん戦争は終わり、このとき結ばれた「ハサブユルト和平合意」では、チェチェンの独立は5年後の2001年にふたたび検討されるはずだったが、99年にロシアの二度目の武力侵攻(第二次チェチェン戦争)を開始した。前回以上大規模な、チェチェンへの攻撃で、隣国のイングーシ共和国には当時流れ込んだ難民は最大30万人に及び、現在も5万人のチェチェン人が難民生活を続けている。
94年以来、10年間つづいているこの紛争の死者は20万人以上にのぼり、その多くは民間人である。