 |
◆ セルゲイ・マコヴェツキイ (陪審員@)
1958年6月13日キエフ生まれ。水球などのスポーツで活躍していたが、学校演劇で俳優を志すようになり、舞台の裏方、兵役を経て、シュチュキン演劇学校で演技を学ぶ。80年ヴァフアンゴフ劇場の団員となって《オセロー》のイヤーゴ、ゴーゴリー原作《警視》などを演じる。83年より映画にも出演を始め、ウテ・レンパー主演「Moscow Parade」(92)などに出演。主演作「Makarov」(93)でニカ賞主演男優賞を受賞し、以後も同賞に95、98年に候補となり、2000年は助演男優賞候補に、03年には受賞。他の出演作品『フリークスも人間も』(98)、ミハルコフ製作の「72M」(04)など。ロシア国民芸術家。 |
 |
◆ ニキータ・ハミルコフ (陪審員A)
1945年10月21日モスクワ生まれ。モスクワ芸術劇場の児童演劇スタジオで学び、59年には映画に初出演。以来、俳優として活動し、63年には『私はモスクワを歩く』の演技で注目を集める。その後は監督を志すも、兄アンドレイの『貴族の巣』(69)、ショーン・コネリー主演『SOS北極..../赤いテント』(69)などに出演。監督デビューしてからも自作に出演。その後も兄の「シベリアーダ」(79)、『ふたりの駅』(82)、『持参金のない娘』(84)、日本映画『オーロラの下で』(90)などに出演し、ナスターシャ・キンスキー共演「Unizhennye i oskorblyonnye」(91)で仏オンフルール・ロシア映画祭、クシシュトフ・ザヌーシ監督「Persona non grata」(05)でポーランド映画祭の助演男優賞もそれぞれ受賞するなど、演技力も定評である。 |
 |
◆ セルゲイ・ガルマッシュ (陪審員B)
1958年9月1日ヘルソン (現ウクライナ)生まれ。モスクワ芸術劇場演劇学校で演技を学ぶ。84年にソヴレメンイク劇場に入団するや注目され、同年映画デビュー。以来、舞台、映画、TVと幅広く活動し、2000年来ニカ賞に毎年のように候補となり、助演男優賞を2度受賞し、本作で最優秀男優賞を受賞。他にミハルコフの会社が製作した「72M」(04)、本作と共にオスカー候補となったアンジェイ・ワイダの「Katyn」(07)、ロシアでのTV版「ドクトル・ジバゴ」(06)、「アンナ・カレーニナ」(08)などがある。 |
 |
◆ ヴァレンティン・ガフト (陪審員C)
1935年9月2日モスクワ生まれ。戦争で父を失った後、モスクワ芸術劇場の児童スタジオで演技を学ぶ。この頃、ニキータの父セルゲイ・ミハルコフが書いた舞台にも子役として出演。その後同劇場の演劇学校で研鑽を続け、在学中にミハイル・ロンムの監督作にも出演。その後、ソヴレメンニク劇場の団員となり、舞台俳優として活動。60年代後半より映画やTVにも出演を始め、半世紀の間に80を超す作品に出演。本作は7年振りの映画となった。ソ連国民芸術家。 |
 |
◆ アレクセイ・ペトレンコ (陪審員D)
1938年3月26日チェルニゴフ (ウクライナ)生まれ。キエフ演劇院、カルコフ演劇院などで演技を学ぶ。61年より舞台俳優として活動を始め、64年からレニングラード劇場の団員として活躍。映画は、67年に初出演。以来、舞台活動の合間を縫ってコジンチェフの『リア王』 (71/オズワルド役)、エレム・クリモフの『ロマノフ王朝の最期』「別れ」 (81)、パーヴェル・ルンギンの「Luna Park」(92)、『ラフマニノフ ある愛の調べ』(07)など50もの作品に出演。ミハルコフと『持参金のない娘』(84)で共演し、『シベリアの理髪師』(99)と本作に出演。ソ連国民芸術家。 |
 |
◆ ユーリ・ストヤノフ (陪審員E)
1957年7月10日オデッサ生まれ。作曲などで多方面で活動していたが、国立舞台芸術院(GITIS)で演技を学び、77年に卒業。78年よりレニングラードのゴーリキー・ボリショイ劇場の団員として活動を始め、《アマデウス》のモーツァルト役などで評判となる。85年に退団して、フェンシングの指導などもはじめる。91年からはTV番組でも活躍をはじめ、93年からはTVショー「タウン」という番組の台本、製作、演出もつとめて人気者となり、2000年より映画にも時折顔を見せている。 |
 |
◆ セルゲイ・ガザロフ (陪審員F)
1958年1月13日アゼルバイジャン、バク生まれ。国立舞台芸術院(GITIS)で名優オレグ・タバコフ(『オブローモフの生涯より』などの主演)に演技を学ぶ。在学中から才能を発揮し、80年より映画にも初出演。卒業し、86年よりタバコフのモスクワ現代劇場で活躍を始める一方、89年には「Krejzi」で監督にも挑戦し、アンジェ短篇映画祭の観客賞を受賞。その後、セルゲイ・ボドロフ作品やパーヴェル・ルンギンの『タクシー・ブルース』(90)などの映画に次々出演。91年はゴーゴリー作《検察官》Revizor の主演で絶賛された後、退団し、96年には自らの主演・監督・脚本・製作で映画化。この後、舞台に戻るが、2002年からTV、映画などにも出演している。 |
 |
◆ ミハイル・イェフレモフ (陪審員G)
1963年11月10日モスクワ生まれ。モスクワ芸術劇場演劇学校で学ぶ。父オレグは監督・俳優、母アンナ・ポクロフスカヤは女優。モスクワ芸術劇場演劇学校を卒業し、87年にはスタジオ「現代2」という劇団を興して、91年まで活動。その後、モスクワ芸術劇場の団員となり、チェーホフの《幽霊》《かもめ》などに次々出演。また映画などにも出演を始め、96年はデュマ作「王妃マルゴ」のTVミニシリーズ版で国王シャルルも演じた。2000年にフリーとなってからは、映画、TVに休む間もなく次々と出演し、2002年にはTVミニシリーズでニカ賞助演男優賞も受賞。本作後も作品目白押しで、ミハルコフの『太陽に灼かれて』の続編にも出演。 |
 |
◆ アレクセイ・ゴルブノフ (陪審員H)
1961年10月29日ウクライナ、キエフ生まれ。キエフ国立演劇院で演技を学ぶ。その後、ネスタンティネル室内劇場、ウクライナ・ロシア演劇劇場などで活動すると共に、ドヴチェンコ映画スタジオの作品に次々と出演。一方、DJ、歌手としても活動し、ドイツ映画「Blue Moon」(02)には歌手役で出演。詳細は公式サイト[ http://gorbynov.com.ua/ ]で。 |
 |
◆ セルゲイ・アルツィバシェフ (陪審員I)
1951年9月14日スヴェルドロフスク、カルヤ生まれ。76年当地の演劇学校を卒業後、国立演劇学校(GITIS)で研鑽を積む。81年に卒業し、舞台俳優として活動を始め、83年には映画初出演。84年は『持参金のない娘』でミハルコフと共演。その後も舞台をメインに映画にも時折出演し、91年はコンチャロフスキーの『映写技師は見ていた』に出演すると共にポクロフカにロシア国立劇場を興して芸術監督として活動を始め、演出家としても活躍。92年には国家勲章を拝受。2002年にはマヤコフスキー劇場の芸術監督に就任。2005年ロシア国民芸術家に選ばれた。 |
 |
◆ ヴィクトル・ヴェルジビツキイ (陪審員J)
ロシア連功労芸術家。1959年9月21日タシケント生まれ。当地のオストロフスキー舞台芸術院で演技を学ぶ。83年からは当地のゴーリキー舞台アカデミー劇場の団員として活動。94年に映画初出演した後、退団。フリーとして活動を始めるが、ミハルコフの『シベリアの理髪師』(98)に出演した後、エトセトラ劇場に入団。その後は「ザ・グラディエーターII ローマ帝国への逆襲」(01)、「エスケープ・フロム・アフガン」(02)、 『大統領のカウントダウン』『ナイト・ウォッチ/NOCHNOI DOZOR』(04)、 『デイ・ウォッチ』(06)といった映画や、TV映画などにも次々出演している。
|
 |
◆ ロマン・マディアノフ (陪審員K)
1962年7月22日モスクワ、デドヴスク生まれ。10歳の時、ロシア版「ハックルベリー・フィンの冒険」(72)の主演ハック役で子役デビューし、その後もいくつかの映画に出演。演技を学ぶため、国立舞台芸術院(GITIS)に入学し、在学中の83年からマヤコフスキー劇場に出演。84年に卒業してからは、舞台俳優として活動。90年からは映画やTVミニシリーズなどにも次々と出演。
公式サイト [http://madyanov.ru/] |